前回の記事で、書ききれなかった、嫁姑問題について記載したいと思います。
前回は義両親との同居問題について、主に触れましたが、同居していて、直面するのは、義母との関係。
もちろん、義父との問題もありますが、世の中のお嫁さんたちが気になるのって、主に義母との関係じゃないでしょうか?
結婚前に、すごくいいお義母さんの印象だった方でも、結婚した後は、全然想像と違った…とか、同居が始まった途端、お嫁さんへの態度が豹変した…とか、いろいろな話を聞きます。
このコラムでは、私の実体験に基づいた、私自身の経験談をシェアさせていただいて、「うわーあるある!すごいわかるー!」とか「いや、うちの姑の方がひどいですよ…」とか「うちの姑は、Risaさんの姑よりマシかも…」などと感じながら、読んでいただけましたら本望でございます。
お好きなところからお読みいただけます
不妊治療への理解
私は、20代の時に卵巣系の大きな手術をした関係で、婦人科医から「赤ちゃんは無理かもしれない」と言われてきました。
そのため、両家のご挨拶の時に、私の親から元夫の親へ、娘は後継を産めない体だということを伝えたのですが、それを義両親は快諾し、「2人が好きになって結婚するんだから、そんなの気にすることないですよ」と言っていたのですが…
結局、結婚後は、あの日の言葉をすっかり忘れてしまったようで、「孫はまだか?」の催促の日々。
やいやいやいっ!あの時の、あのセリフは嘘だったってことですか?
はい、そうなんです。
嘘だったんです。
その場を取り繕っただけだったんですねー。
とはいえ、私も元夫も子供は欲しかったので、不妊治療をすることにしました。
ですが、私がどんなに病院通いしても、子供ができる気配はありません。
そりゃそうなんです。
確かに私には、不妊要因がありました。
ですが、女性だけ検査をしてもダメなんですよね、不妊治療って。
今は、男性不妊も非常に増えているので、男性側に原因があるパターンも多くなってきています。
そのため、本来、通院をスタートする際には、夫婦で検査をしなくてはいけないのに、最初に訪問した病院では、男性側の検査を求めてこなかったこともあり、私は1人で通院し、治療を1年以上続けていました。
あまりにも結果が伴わないので、病院を変えることにしました。
男性不妊
インターネットで、有名なクリニックを検索し、通える範囲で見つけたのが、『田園都市レディースクリニック』でした。
こちらの病院は不妊治療専門クリニックで、遠方からスーツケース持参で来院する人がいるぐらい有名なクリニック。
予約していても2時間待ちは当たり前。
そんな病院に、一人で初診に行った私は、担当医にいきなり叱られました。
「旦那さんは?なんで一緒じゃないの?不妊治療は夫婦でするもんなんだから、旦那さんも一緒に来ないと意味がないよ」
それを聞いた私は、目から鱗。そして、先生からの指示で容器を受け取ると、病院に行けないという元夫の精液を採取して、クリニックへ持参して検査をしてもらいました。
結果は、バッチリ男性不妊。
乏精子症+精子無力症+奇形精子という、男性不妊の中では比較的症状が重たい状態でした。
ということは、私の不妊症状に加え、元夫の不妊症状が重なり、担当医から告げられた私たち夫婦の妊娠率は、0.01%。
「99.9%、自然妊娠の確率はないです」
と、ハッキリ言われました。
あの日、診察室で、夫婦で涙を流したことは、今でも覚えています。
ですが、直後に気を取り直し「ではその0.1%に賭けます。治療法は?」と聞き、担当医からは「顕微受精しかありません」と言われたので、すぐにその最高度医療にトライすることになりました。
顕微授精
不妊治療について、少しでも知識がある方なら、顕微授精についてもご存知だと思います。
不妊治療は基本的に、ステップアップしながら、治療の難易度+費用が高くなって行きます。
1)タイミング法
タイミング法とは、医師の指示で「最も妊娠しやすいタイミングで夫婦生活を行うこと」を言います。 タイミング法は、不妊治療で最初に行う治療法で、自然妊娠に近い形で、体への負担の少ない方法。
2)人工授精
人為的に精子を女性の生殖器内部に注入し女性の体内において授精、受胎させる方法。
3)体外授精
精子と卵子を体外に取り出して人為的に結合・受精させ、受精卵をふたたび女性の子宮内に戻して妊娠・出産させる方法。
4)顕微授精
顕微授精とは体外受精の一種で、細いガラス針の先端に1個の精子を入れて卵子に顕微鏡で確認しながら直接注入する方法。
より自然に近い形から、徐々に人工的な力を使って、精子と卵子を授精させるのですが、当然ながら、金銭的負担も身体的な負担も、徐々に増えて行きます。
通常は、タイミング法からスタートして、徐々にステップアップしていくのですが、私たちは、担当医から「顕微授精」しか方法が無いと言われたので、ある意味最短で妊娠への道を、選択できたのかもしれません。
そういう意味では、ストレートに簡潔に指南してくださった、この担当医には感謝しかありません。
注射のための通院@毎日
顕微受精をするためには、採卵という、卵子を採取する工程が欠かせません。卵子を作るために、ホルモン治療をスタートするのですが、毎日病院に通院し、お尻や腕に筋肉注射を打ってもらいます。
これが、不妊治療をする者にとっては、非常に苦痛でストレスなんです。
予約していても、2時間待たされる病院。
それが毎日続くわけです。
私も当時、元いた職場で契約社員として再雇用してもらい、働いていましたが、不妊治療スタートと共に、通院のために退職しました。
元夫は仕事をしていたので、当然ながら、毎日の通院への付き添いはできません。
なので、私はいつも1人で車を運転して片道1時間の道のりを、通院していました。
息子の不妊を認めない義母
結婚前に、私の両親から、義両親に、私が不妊であることを伝えていたせいか、義母はなかなか子供ができない私達に対して、私が原因であることを事あるごとにネチネチ言うようになりました。
「なんで妊娠しないかが理解できないわ。私なんてポンポンできちゃって、お父さんに言わずに、こっそり病院に堕しに行ったわよ!」
そんなことを平気な顔をして、私に向かって言うような義母です。
もう、人として理解できない域でした。
不妊で苦しんでいるお嫁さんに向かって、そんなことが言えるなんて…。
元夫が男性不妊だとわかった時にも、義両親にはきちんと報告しました。
ですが、義母は息子が男性不妊だと言うことに納得がいかず、全くそれを受け入れようとしてくれなかったんです。
そして相変わらず、嫁が不妊だから…ということで、治療を続ける私に対して、嫌味を言い続けるのです。
いい加減、私のストレスも蓄積されてきたところに、薬の副作用により、私の体調が著しく悪かった時期がありました。
ですが、注射のための通院は続けなくてはいけません。
そこで、元夫を通して、義母に病院への送迎を1日だけお願いしました。
もちろん、電車で行こうと思えば行けましたが、義母に送迎をお願いしたのには、理由が…。
「不妊治療が必要な嫁は、うちの嫁だけに違いない。ハズレを引いたわ」と思っている義母に対して、どれだけ多くの人が、不妊症に苦しみ、不妊治療を頑張っているのかを知ってもらいたかったのです。
息子に頼まれたら断れない義母は、ブツブツ言いながらも、私を病院まで車で連れて行ってくれました。
本当は待合室まで連れて行って、状況を目の当たりにして貰いたかったのですが、義母はそれを頑なに拒否。
車の中で待ってるからと言われ、私は1人でクリニックへ入って行きました。
3時間ほどしてから、車に戻ると、義母がやや疲れた様子で言いました。
「本当にたくさんの人が暗い表情で病院に入っていくのね。ビックリしたわ」
おっ!!!
これはもしかして?!お義母さんを連れてきた甲斐があったかな?!少しは不妊治療をする人の気持ち、わかってくれたかな?!私だけじゃ無いってこと、知ってくれたかな???
「あんな暗い顔してたら、赤ちゃんだって来てはくれないわよね。ほんと、できない人の気持ちなんて、さっぱりわからないわ」
と、堂々と仰っておりました…。
チーン…
もう、この方には何を言っても無意味だと悟った瞬間でした。
不妊治療で苦しんでいる私の気持ちなんて、天地がひっくり返っても理解できないだろうなと思います。
そして、我が家の場合、不妊の原因が、私だけではなく、あなたの息子の方にも重大な不妊要因があるということも、何度も伝えましたが、まず聞こうとしない。
もうそこを理解してもらおうと思うことを辞めることにしました。
理解しようとしていない人を理解させることほど無駄な時間はありません。
元夫は投薬治療のみでしたが、それでもできなければ、北九州市にある男性不妊に有名なクリニックを訪ねる予定でした。
結果として、比較的スムーズに第一子妊娠となったので、元夫の不妊治療はこれにて終了となりました。
平成の時代に男尊女卑
壮絶な不妊治療を経て、第一子を妊娠した私でしたが、性別がわかっても、絶対に周りに言うのはやめようと思っていました。
知りたくなくても、妊婦健診に行くと、エコーでどうしても見えてしまうものってありますよね。笑
そんな理由から、私も、第一子の性別を、比較的早い時期に知ってしまっていました。
元夫には、お腹の中の赤ちゃんの性別を話しましたが、それ以外の人には誰にも言わずに、出産当日を楽しみにしていたのです。
いよいよ出産当日。
一応計画分娩を推奨している病院だったこともあり、無痛分娩での出産を予定していましたが、全く麻酔が効かずに、ほぼ自然分娩と同じ状況で出産。
初産なのに、赤ちゃんの出生体重は3712グラムと、なかなかのサイズ感。決して楽な出産とは言えませんでしたが、それでも無事に産まれてきてくれた赤ちゃんは、女の子でした。
不妊治療で授かった私達からすると、性別なんて関係なく、無事に産まれてきてくれたことが全てです。男の子でも女の子でも、私達夫婦の子として産まれてきてくれたことで、喜びに満ち溢れていました。
出産を終えて、分娩室から、病室に戻り、双方の両親に改めて女の子の出産だったことを伝え、母子ともに健康であることを報告した時に、事件は起きました。
出産直後の私に放った言葉
看護師さんに車椅子を押してもらいながら、自分の病室に戻ってきたときのこと。
出産を終えた私に対して、「Risaちゃん、お疲れ様!よく頑張ったね!」と声をかけてきた私の両親の声を聞いて、急に安堵して涙が出ました。
そんな感極まっている私に対して、義母が、ありえない言葉を放ったのです。
「何よあんた!女じゃないのよ!男産んでもらわなきゃ困るからね!」
そう言って、これから産まれたばかりの娘のお披露目…と言う状況だったにも関わらず、さっさと病室を出て、帰ってしまいました。
その場にいた誰もが凍りつき、今、目の前で何が起きたのかを把握できずにいました。
こんなひどい発言ができるなんて…!自分の息子の血が入った孫に対して、そして子供ができないと言われた私たちが、やっとの思いで出産までできたのに、そんな私に対して、産んだ子供を否定するような発言…
もう、信じられません。人としてどうなの?!と思ってしまいます。
どういう意図で言ったのかは本人じゃ無いとわからないと思いますが、これ、盛ってるわけでもなんでもなく、リアルに、こう言われました。
この日のことは、恐らく一生忘れることができないでしょう。
それぐらい、人生において最もショックな出来事と言っても過言ではありませんでした。
3人目の不妊治療を強要
その後、私は第二子も顕微授精によって妊娠し、無事に男の子を出産しました。
はい、義母が待ち望んだ男の子です。
これで、私としては、長男の嫁のお勤めもしっかり果たせたし、後継ぎを作ったことで、誰にも文句は言われないだろう!と、そう思っていました。
ところが…
義母から、またありえないことを言われました。
「男の子をあと2〜3人産みなさい」
え…この方、また何をわけわからないことを仰っているんでしょうか?
私、大変な不妊治療をしたのを知ってますよね?
そんなに簡単に妊娠できないの、わかってますよね?
あなたの息子から健康な精子を採取することの方が大変なの、ご存知ですか?
どうやら、自分は男の子を4人産んだんだから、あなたもそれぐらい産みなさい、と言いたいらしい。
実際に、元夫の弟嫁達も、どういうわけだか男の子を3人ずつ産んでいました。はい、確かに私は1人しか産んで無いし、なんなら、望まれていない女の子を産んでしまいましたが…
だから何?
私はあなたの指示通りに赤ちゃんを産むために嫁いだわけじゃありません。
念願の第一子である娘を授かった時点で、それ以上を求めてはいなかった。だけど男の子を産めと言うから、凍結保存してあった受精卵を使って、すぐに2人目の不妊治療をして、男の子を授かったんです。
それでいいじゃないですか!
なんであと2〜3人も産まなくちゃいけないの?!
ほんと、バカにしてる!!!
それでも、3人目の治療をしたんですよ、私。
やっぱり、忠実な嫁にもなりたかったんですよね。
ですが、2人の乳幼児を連れての不妊治療は、想像以上に大変だったし、通院が難しくなると、自分で自己注射を選択せざるを得ない。
子供達の眼の前で、お腹に注射を打つ姿を、子供達はどんな気持ちで見ていたのかな…。
そして、なんとか受精卵が着床したかと思ったら、全く定着せずに流産。
それを3回も繰り返し、その度に、掻爬手術をしました。不育症でした。
さすがに、身も心もボロボロになり、「もう辞めたい」と元夫に訴え、3人目の不妊治療は途中で中断して、終わりにしましたが、義母の発言のせいで、私の心が蝕まれたことは言うまでもありません。
「私の頃はこうだった」が口癖の義母
これは、嫁姑あるあるだと思うのですが、やっぱり、昔の人たちにとって、今の人たちの子育ての仕方については、色々思うところがあるようですね。
「昔はこうだったのに」
「昔じゃ考えられないわ」
「私の頃は、こうやったものよ」
「私が嫁に来た時はこんなことは許されなかったわ」
ハイ、続々と姑の口から、嫁に対する文句や愚痴が出て参ります。
これは、きっと一生止まることのないものだと思います。笑
私からすると、第一子である娘の子育ては、かなり神経質に色々なことを気をつけてスタートさせた気がしています。
例えば、赤ちゃんの洋服を洗う洗剤は、無添加の専用のものを使っていたし、大人の洗濯物をは完全に分けたり、化学繊維を使ったものは買わない…などと、とにかく気を遣ってました。
離乳食も、市販品は絶対に使わないようにして、全て手作り。
作り置きして冷凍したりしながら、ある意味神経質過ぎるぐらい神経質に、大切に育てていました。
あ、ちなみに…予めお伝えしておきますが、第2子の息子が産まれてからは、洗濯物も大人と一緒に回してるし、離乳食もキューピーや和光堂のお世話になりっぱなしで、なんなら息子は0歳児の時から普通にお米食べさせていました。笑
2人目子育てで、そんな細かいことを気にしていられないのが現実だったりしますからねー笑
なので、そんな完璧人間ではありませんので、予めご了承くださいませ。笑
むしろズボラ人間のタイプの私が、最初だけ頑張っちゃっただけなのですが、それでも第一子のことは本当に大切に育てたつもりでいるので、義母の子育て論との違いに、かなり戸惑いと憤りを感じておりました。
塩分過多!!!
昔の人たちって、赤ちゃんにスルメをしゃぶらせて子育てしてたの?
私の常識にはなかったし、私自身は、そんな子育てされてこなかったので、私の娘に対して、いきなりスルメを持たせてしゃぶらせようとした義母の行動には、かなりビックリしました。
まだ離乳食が始まったばかりの乳児の頃。まだ0歳の時に、お腹を空かせて泣き始めた娘をバウンサーに乗せて、ミルクを作っていた私。
娘のそばには、義母がいました。
すると、義母が突然、泣いている娘に、スルメを持たせたのです。
赤ちゃんって、手にしたものを、すぐに口の中に入れますよね?当然、手に持ったスルメを、泣きながらも口に持っていこうとする娘。
唇に触れれば、そのしょっぱさに当然気付きます。
驚いて、泣き止みはするけれど、そんな塩っ気の強いものを乳児に食べさせるなんて、当時の育児本には書いていませんでした。
むしろ離乳食には、塩味をつけずに素材の味だけで充分だと書いてあり、塩分を取らせないようにと注意書きがしてあるぐらいです。
さすがに、まだミルクしか飲んでいないような我が子が、スルメをしゃぶらせられてるのを見たときは、お義母さんに「スルメはダメですっ!」と言いましたが…
当然ながら、義母は「何がダメなのよ!」といった感じで、私が注意した後もするめを娘に与え続けました。
これにはさすがに私も我慢ができずに、元夫にもその現場を目撃してもらい、その場で注意してもらうことで、なんとかスルメ事件は終止符を打ちました。
そのあとも、塩辛いものを与え続けた義母のせいで、娘はすっかり、呑兵衛のような食べ物を好むようになり、その後の幼稚園の入園面接の時にも、「好きな食べ物はなあに?」と聞かれて「イカの塩辛と…トマトと…イカのお刺身と…イカキムチです!」と答える娘に育ちました…笑
教育方針の相違
これもあるあるだと思いますが、生きている年代が違うので、子供の教育に関しても、考え方に違いがあるのは仕方のないことですよね。
年代の違いだけではなく、そもそも育ってきた環境が違ったり、考え方が違えば、教育方針に相違があることは否めません。
そこまではいいんです。
色々な人がいるわけなので、他の人が、我が子をどう育てようが、それはそのごかていの方針なので、他人がどうこう言えるものではありません。
ただ、一つ屋根の下に暮らしていて、義両親と同居していく上で、私は何度となく、義母から私の教育方針について、文句を言われてきたので、それに対しては、ずっと我慢していました。
これは、義母だけではなく、実母にも言えることではありますが、やはり、生きている時代が違えば、子供の育て方も違いますよね。
恐らく、私たちの親世代が、今の時代の子育てに関して、一番気に入らないポイントは”子供にスマホを持たせたりiPadを持たせる”ということについてだと覆います。
ちなみに、我が家では、子供達が小さいうちに、スマホやiPadを持たせて、おとなしくさせる…という子育てはしていませんでした。
なんとなく、それは「奥の手」だなという気がしていたので、よっぽど大人しくさせていなくてはいけない場所(冠婚葬祭など)では見せることもあったかと思います。
ですが、普段の生活の中で、スマホを渡してしまうと、それが当たり前になってしまい、親がスマホを触っているだけで「ボクモ、ミルー!」となり、私が自由にスマホを触れなくなる気がしたので、しませんでした。
とはいえ、今の世の中、ほとんどのお母さんが、子供にスマホを渡していますよね!何なら、子供専用のスマホを用意しているご家庭もあると思います。
でね、結論から言うと、別にこれ、全然悪いこととは思わないんですよね。
そりゃもちろん、視力が悪くなるとか、画面との距離が近すぎるなどの問題は起こりうるかとは思いますけど、今は月齢に合った教育アプリなどもありますし、本当に多種多様なコンテンツがあるんです。
ルールを決めたりとか、時間をしっかり制限して見せる分には、私はアリだと思います。
ですが、そういう子育ての仕方をよく思わないのが親世代。
「便利な世の中になったねー」と、時代に合った感想を言ってくれるだけでいいのに、「そんなものを見せてたらバカになる」と言う発言は、何だか時代錯誤だなーと言う気がしてしまうのは、私だけでしょうか。
恐らく、義母は、神経質に子供に無添加のものを食べさせたり(第一子の時だけ)無添加の洗剤を使ったり(第一子の時だけ)毎日ほぼ決まった時間にお散歩に連れ出したり(第一子の時だけ)していた私の子育てを見ていて、イライラしていたんじゃないかなーと思います。笑(第一子の時だけですけどね。笑)
子育てなんて、もっと適当にやればいいのにって思っていたかもしれません。
でも、誰だって、こんな風に育てたいなーとか、こんな子になったらいいなーって夢を描きながら子育てをしているんじゃないかと思うんです。
自分たちも、ついやってしまいがちですけど、自分がやれなかったことを子供に託す親っているじゃないですか。
自分たちが子供にしてやれなかったことを、孫にやらせようとする義母も多いと思うんです。
ハイ、それ、ヤメていただきたい!!!
私の子供に、義母の理想を押し付けないでもらいたい!
私の子育てを否定して、自分の子育て論を、押し付けないでもらいたい!
親子喧嘩に口を出されて、家出しました
私、元夫と婚姻関係にあった最中、1回だけ家出をしました。
厳密には、家出未遂が1回と、ガチ家出が1回。
家出未遂事件については、また別の記事で書きたいなーと思っているのですが、とりあえず、ここでは、ガチ家出について書きますね。
娘が5歳の頃。
ちょうど娘が小学校受験のお勉強で、山を迎えていた頃の話です。
我が家の小学校受験の話については、これまた別の記事でもご紹介しようかなと思っているので、ここでは詳細は割愛しますが、親子共に、若干疲れが出始めていたんです。
5歳の女の子といえば、口は達者で、生意気なことを言うような時期。
この日も、些細なことで、親子ゲンカをしていたんです。
これもよくある光景だと思うのですが、我が家の場合、同居をしているので、親子ゲンカの声も、1回の親世帯には筒抜け状態。
しかも、あろうことか、娘が親世帯との共有玄関で大声で叫んだので、当然私も、共有玄関で娘を叱りつける状況。
そのやりとりを聞いていた義母が、突然、1階から階段をダダダダーッと駆け上がってきました。
「お前、さっきから黙って聞いてれば、なんて口の利き方してるんだ!いい加減にしなさいよっ!」
と、私に向かって罵倒してきたのです。
いやいやいや…その前後の親子の会話から、聞いていたんですか?何で娘が叱られているのか、知りませんよね?!何も知らないのに、私が娘を叱りつけた一部分だけを切り取って、そんなことを言われるなんて…!
ただでさえ、娘の生意気な発言に頭にきているところに、義母から理不尽な叱責を受けた私は、とうとう義母にブチ切れてしまいました。
「うちの子育てに口出ししないでください!何で叱られてるか理由も知らないお義母さんに言われたくないです!」
言っちゃいました。
言ったあと、義母は何やらブツブツ言っていましたが、1階にいた義父に呼ばれ、下に降りて行きました。
あとから知ったのですが、どうやら義母はその時、義父にこっぴどく叱られたそうです。子供達の子育てに口を出すなと。お前は何を余計なことを言ってるんだ!と叱られたとのことだったので、少しスッキリしました。
ですが、私の怒りは収まりません。
同居しているって言うだけで、何でこんな理不尽な思いをしなくてはいけないのか、悔しくて涙が溢れてきます。
叱られていたはずの娘も、ママがばぁばに怒鳴られたのを聞いて、急にママの言うことを聴き始め、ママを慰めにきました。
怒りの持って行き場がなく、「ママはもう家を出て行く!ばぁばとは一緒に住めないから!」とまだ小さい子供達に言い捨てて、荷物をまとめて家を出ようとしました。
今思えば、本当に酷いことをしたなと思います。
当然ながら、子供達は泣き狂っていました。
そして、着の身着のまま、玄関を出たママを追いかけて、裸足のまま車に乗り込んできたのです。
姉が1歳下の弟の手を引いて、泣きながら「置いていかないで〜!」と言って車に乗り込んできたときのこと、今でも鮮明に覚えています。
本当に反省しているんです、あの日のことは。
だから、私はあの日以来、一度も家出をしていません。
どんなに辛いことがあっても、家を出るときは、子供達も一緒って決めています。
あの日は1人で家出をしようと思って家を出ましたが、泣いている子供達を置いていけないので、とりあえず3人で家を出たあと、まずは子供達の靴を買いにイトーヨーカドーへ行き、着替えの下着とパジャマを購入して、スマホでホテルを探しました。
子供2人を連れて泊まれる部屋は、あるようで、そんなになくて、どうしよう…車内泊かな?と思い悩んでいましたが、ふと気づきます。
”義母が原因で家出したんだから、パパに責任取ってもらおう”
ということで、元夫のクレジットカードを使って宿泊することに決めたので、みなとみらいにある、ロイヤルパークタワーホテルの高層階の部屋を取って、パパにはLINEで事後報告。
子供達は、既に車の中で寝てしまっていましたが、娘を起こして、息子をおんぶした状態で、夜の23時頃にチェックイン。
普通じゃない状況に、ホテルのフロントスタッフさんたちも、さぞかし驚いたことと思います。笑
そして、高層階のお部屋でコンビニで購入した缶チューハイを1人でプシューっと開けて、娘はジュースで深夜の乾杯。
LINEを見た元夫が状況を察して、ホテルに合流し、思いがけず4人でホテル泊をしたことは、子供達もいまだに鮮明に覚えているそうです。
翌朝は、美味しいモーニングを食べて、普通に自宅に戻りました。
当然ながら、義母からの謝罪はナシ。
代わりに義父から謝罪の言葉をもらい、私の気持ちは落ち着きましたが、義母の発言が原因で家出をしたことは、恐らく私は、忘れることはできないでしょう。
その後、義母がどんなに優しい義母になり、私と寄り添うことになっていたとしても、あの日の発言を許せずに、一生壁を作ったままだったかと思います。
そういう意味では、義家族と縁が切れたことは、私にとっても、心にかかっていた灰色の雲が晴れたような、そんな気分になれたのです。
同居はお勧めしません
結論から言うと、同居はお勧めしません。
どんなに仲がいいお姑さんでも、一緒に住めば、お互いのアラが見えてくるようになります。
そのうち、粗探しをするようになるので、良好な関係は築けなくなってしまいますよね。
もし、どうしても一緒に住むことを強要されたときには、条件を必ず提示してください。
・敷地内同居
・完全二世帯住居
これは絶対です。
玄関が同じとか水回りが同じだと、絶対にうまくいかないと思います。
うまくいっているご家庭があるとしたら、それはお互いにものすごい我慢をしているから。
長く続けることを考えると、それはストレスになります。
・子育てに口を出さない
・お互いの生活に干渉をしない
・子世帯の合鍵は渡さない
親世帯の合鍵は、他の兄弟姉妹にも渡す可能性はありますので、その逆はしない、というのがポイント。
離れたところに住んでいる子供たちの家の鍵、両親は持ってないですよね?
一緒に住んでいるからといって、鍵を預ける必要はないので、その代わり、自分の家の鍵の管理は、しっかりご自身で行いましょう。
さて、同居について私の経験談を書き綴ってきましたが、いかがでしたでしょうか?
まだまだエピソードはたくさんありますが、今回の記事はこの辺で終わります。
他にも個人的に同居について悩んでいらっしゃる方がいらっしゃいましたら、個別相談も対応しておりますので、遠慮なくお問い合わせフォームより、ご連絡くださいね。