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コラム

40代シングルマザーの仕事事情について!専念できるのは中学生から?

2024年1月20日

この記事では私の実体験に基づくお話をさせていただきます。

まずは、私が元夫との間に、離婚話が浮上した後の、お仕事に関するお話から。

1. 第二新卒で入社した大手企業

私は独身時代、バリバリの営業会社で営業をしていました。

営業ウーマン

その会社は誰もが知ってる大手企業だったのですが、とにかく営業マンが多く、この会社で営業戦略について学んだり、営業手腕の評価も厳しかったりと、ここでしっかり営業ノウハウを学んで、経営者になる人がとても多い、そんな会社でした。

実際に、私の元同僚の先輩も後輩も(私の同期はほとんど辞めてしまった)多くの人たちが、起業して、成功して、社長として活躍している人ばかり。

そんな人たちを見てきていたせいか、私の中にも、起業に対する憧れ、みたいなものはありました。

その頃の私は、一応トップセールスマンと呼ばれる存在になり、全社MVPに選ばれたりと、かなり波に乗っていて、当然ながら、インセンティブやボーナスも良かったおかげで、年収も20代半ばにして、1000万を超える程だったので、私としては、この仕事は天職だと、ずっと思っていました。

ところがこの時期に、元夫と知り合うわけです。

元夫とは、1年半お付き合いをして、結婚したのですが、当初から元夫は、私が激務の会社に勤めていることを、あまりよく思っていない様子でした。

後からわかったことなのですが、結局彼は、自分の嫁を、ずっと自宅に置いて、家事全般やらせて、義両親の相手をさせて、良い嫁として、三つ指ついて、俺の帰りを待ってろ、と、そういうタイプだったんですねー。

そんなの、付き合う前にはわかりません。だって、一緒に住んでいないんだもん。笑

そして、元夫からプロポーズを受けたときに、「仕事は辞めてね」とサラッと言われ、辞めたくなかった私ですが、辞めざるを得ない状況になってしまった、と、そういうわけなんです。

当時の年収を捨てるのは、正直惜しい状況でした。

ダブルインカムの方が、家庭のお財布も潤うはずです。なのに、そのときに元夫は、私のそのキャリアを捨てて、嫁に来いというのです。

しかも、同居付き。

今だったら、絶対にその条件、受けてないんだけどなー笑

そこまで恋愛経験が多くない私は、「結婚」の2文字に踊らされてしまったのかもしれません。
そして、元夫のいいなりになり、絶賛活躍中だった大企業を辞めて、元夫の両親と共に、同居する道を選んでしまいました。

2. 苦痛だった専業主婦生活

仕事を辞めて2週間で、専業主婦生活に飽きてしまった私。笑

そりゃそうですよねー!

だって、それまでは毎日ヒール履いて客先を走り回って営業していたんですから、朝起きて、寝るまで家から一歩も出ない日があるなんて、考えたこともありませんでした。

世の中の専業主婦さんは、一体何をして日中を過ごしているの???

本気でそう思っていました。

暇を持て余す主婦

もちろん、子供がいれば、子育てに忙しく過ごしたり、するのだと思いますが、当時、まだ子供がいなかった私は、本当に本当に苦痛で退屈でした。

あまりにも退屈だったので、何か習い事でもしてみよう!
と思い立って、偶然通っていたカイロプラクティックの先生の奥様が、ヨガのインストラクターをされていたご縁で、近所のヨガスタジオに通い始めることにしました。

初めてのヨガ。

体を動かすことが好きだった私、完全にハマりまして…笑
週3〜5日通うぐらいのヘビーユーザーになり、先生からも、「インストラクターになったら?笑」と言われるほど、上達していきました。

いや、なんでこんなにヨガにはまったかというと、若い頃のスキーの怪我で、膝の内側靭帯と半月板を損傷して、過去に手術をしたせいで、正座ができないほど、固まっていた膝が、ヨガを続けていくうちに、完治して、しっかり正座ができるようになっていったんです。

これは、リハビリにもなるし、体の不調改善に役に立つツールだ!と思った私は、営業時代に無理をして、体のあちこちから発信していた不調シグナルを、ヨガの力で、一つずつ治していき、ヨガの生み出す力のすごさに目覚めてしまいました。

その後、私は壮絶な不妊治療を経て、子供を授かることになります。
この辺のお話も、いつか記事にしたいと思いますが、今回は割愛しますね!

そして、子育てがスタートするのですが、この子育てがまた楽しくて仕方なくて♪

私は、子供を作るまでは壮絶だったので、もう子供を産むのは嫌だー!って思っていましたが、子供を育てるのは、本当に楽しかったし、幸せだったし、何人でも育てたい!っていつも言っていました。

実際には、私は1女1男を授かったので、2人の子育てをしてきたのですが、女の子と男の子では、同じように育てていても、全然違うし、なんなら2人とも、同じタイミングで作った受精卵からできた子なので、実質は、二卵性双生児と同じような感じなんですよね!

だから当然ながら、似ている部分も多かったし、でも違う部分もたくさんあって、その違いに戸惑いながらも、とにかくなんか、子供と接して、会話して、色々な体験をしていくことが、楽しくて嬉しくて、仕方がありませんでした。

そんな子供達も、プレスクールや習い事に行くようになると、また私にちょっとした隙間時間ができてしまいました。

そこで私は、その隙間時間を使って、念願のヨガのインストラクターの資格を取ることにして、日中、子供達がスクールに通っている間に通えるヨガスクールを探し出し、即日で入会し、通学がスタートしました。

私が通ったこちらのヨガスクールは平日の昼間コースがあるので、主婦でも予定が立てやすくておすすめです。大抵のスクールは平日夜とか土日…というところが多いんですよね。

これね、当時、元夫には事後報告でした。笑

というのも、元夫は「お前は何をやっても続かないからダメだ」と、いつも一方的に私がやりたいことを制限してきたので、黙って入会して、継続して、ギャフンと言わせてやろうと、企んだのですが、結果は成功。

「お前にしては珍しく続いてるな」と言われ、そのまま強行突破に成功したのです♪

そして、難関試験も全て1発合格。
ほぼ満点で合格することができました。やるときゃやるのよ、私だって!笑

もし、気軽に体験してみたい方は、今、お得なキャンペーンをやっているようなので、一度レッスンを受けに行ってみてください。

1ヶ月通い放題で3000円は格安ですよ♪

3. ヨガのインストラクター

というわけで、無事ヨガインストラクターとしてのスタートを切ることになります。

ですが、元夫からは「金儲けをするな」と忠告されてました。
実は元夫は会社経営者で、自分の妻が自分の仕事を手伝いもせず、自分で事業をしていることが恥ずかしいと思っていたようなんです。

今思えば、バカバカしい話なんですが、当時の私は、元夫に忠実だったので、それを受け入れ、どこかのスタジオに所属した働き方をせずに、自宅で、近所のママ友相手に、安い価格設定&主婦のお小遣いで払えるレッスンを提供する、その程度のレッスンをしておりました。

でもね、これが、私にとっても、子供達にとっても、すごくいいことだってことには、後から気づいたんです。
自宅をヨガスタジオのように開放的な空間にして、友人たちも、ここに来ることを楽しみにしてもらえるような、そんな空間づくりを心がけていました。

そして、固定客となり、親子ともに本当に気心知れた、最高の仲間達ができたことは、私たち親子にとって一生の宝物だと思っています。

さらに、人が出入りすることで、部屋も片付くし、一石二鳥。
元夫も、その頃には、私の仕事を応援してくれるようになりました。部屋が片付くからね。笑

最初は白い目で見ていた義母も、「私にもヨガ教えてちょうだい」などと言うようになり、資格を取って、やり始めてよかったなーと安堵したのを覚えています。

結局この後、私は専業主婦の傍ら、ヨガのインストラクターとして、トータル15年働きました。

後半は、元夫と別居して、子供達と3人で都内での生活をスタートしていたので、流石に自宅に人を呼ぶわけにもいかず、お声をかけてくださった複数のスタジオを掛け持ちして、レッスンを続けていたおかげで、産後太りで増えに増えてしまっていた体重も、マイナス14キロ!!

40代でも、美スタイルをキープする秘訣を手に入れました!笑

手軽にヨガを始めたい方や、インストラクターになるのを迷っている方は、一度体験だけでも行ってみてくださいね♪

こちらのスクールの良さを実感していただけるかと思います。

さて、いわゆる会社勤めから離れて15年間、ヨガのインストラクターをしていた私ですが、そんな私が、突然、元夫から離婚話をされます。(※詳しくはプロフィールをご参照ください)

その時に真っ先に感じたのは、収入に関しての不安でした。

元夫の離婚話が、リアルなのか、冗談なのか、気の迷いなのか、全くわからなかったけれど、真っ先に頭に浮かんだのは「子どもたちのこと」「お金のこと」でした。

子供達に関しては、いわゆる「親権はどうするの?」って話なんだけど、それに関しては、元夫はその時から一貫して「子供はいらない」と非人道的な発言をしていたので、とりあえず、子供は手放さずに済んだものの…

問題は、お金のことでした。

何しろ我が家の子供達は中学生が2人。一番お金がかかる時期だと言っても、過言ではありません。
そして物事の分別がつく中学生ですから、自分達の学費や習い事や塾代が家計を圧迫していることも、十分理解できる年齢です。

▶︎この辺の話は、私のプロフィールにも書いたので、多少重複する部分もあるかとは思いますが、ご容赦ください。

4. ライフラインストップの危機

当時の我が家のお金の話をすると、離婚話が出るまでは、元夫から、元夫名義の口座に決まった額が振り込まれ、そこから、光熱費や、子供達の習い事の引き落としがあり、それ以外の買い物などについては、夫のクレジットカードの家族カードを使って買い物をしていました。

なので、現金を引き出す、と言うことがほとんどなかったんです。
今は、月謝などもほとんどが引き落としですし、現金を使う買い物も減りましたしね!

その月によっては、不足金が発生して足りなくなり、元夫に追加請求をしたりしていましたが、基本的には、与えられた金額の中でやりくりをして、カードを使いすぎた時には、元夫が、不足分を補充する、という感じで生活していました。

あ、ちなみに、カードの引き落とし口座も、生活費が振り込まれる口座と同じ口座です。

なので、実質、貯金というのは、その口座に残っている額、ということになるのですが、本当に生活費もギリギリの額だったので、基本的には貯金に回せる金額がなかったのが実状でした。

口座残高を見て驚く主婦

はい、話を離婚話をされた頃に戻しますが、離婚話をされて、半年ぐらいは、生活費に関しては、何も変わらず、今まで通りでした。

その間に、3ヶ月に1回の割合で、夫婦で話し合う場を設けましたが、話は全く進展せず。

というか、3ヶ月後には、「やっぱり家族4人で頑張ろう」って言った夫が、6ヶ月後には「やっぱり離婚する」と言ったり、何かを企んでいる様子だけが伝わってくるような、そんな話し合いにしかなりませんでした。

一方、私の方も、子供達から「元夫が不倫している」という事実を聞いていたので、弁護士や探偵に依頼をかけて、水面下で動いてはいました。

最近の中学生は、大人よりもしっかりしています。
ママの知らないとこで、しっかりと父親の浮気の証拠を握っっていたのだから、あっぱれです。

「離婚したい」と言っていた元夫ですが、基本的に不逞行為を働いた者、いわゆる「有責配偶者」からの離婚請求は、できないというのが日本の法律。
なので、元夫がどんなに離婚したいと言っても、こちらも応じる必要もなければ、裁判所が受理するはずもないのです。

そして、6ヶ月と数週間ぐらい経った頃に、突然元夫から、離婚に関する合意書が送られてきました。

その合意書を要約すると「離婚するから合意しろ。とりあえず強行しちゃうからね!」ってことが書いてありました。

さらに、信じられないことが直後に起こります。

たまたま子供の中学校の行事関係で、現金で支払うものがあったので、久しぶりに現金を引き出しに、銀行のATMに行った時のことです。

当時、銀行口座には、約800万近いお金が入っていました。
なのに、たった1万円を引き出そうとしただけなのに「残高不足」という表示が!

慌てて残高照会をすると、なんと、残金4円!!!

え???どういうこと?!
通帳を持っていない私は、明細を見るのに、ネットバンキングを使っていたので、ネットバンキングにログインしようとしたら、ログインができません。

なんと、ネットバンキングのログインパスワードを変更されていました。

当時は、元夫とは普通にLINEのやり取りもあったので、事情を説明したところ、「全てのライフラインを止めたから」という内容の返信が。

そのあと、お昼ご飯を買いにコンビニに行き、クレジットカードで支払おうとしたところ、「このクレジットカードのご利用はできません」

他のクレジットカードを出してみても同じ。

結局使えたのは、自分名義で、自分の収入で作っていたクレジットカード1枚のみ。
つまり、元夫名義のクレジットカードは全て使えないようにされてしまっていたのです。

5. 有責配偶者からの離婚請求はできないはずなのに…

いや、ちょっと冷静に考えてみてください。

そもそも、元夫は有責配偶者。不倫をして、不逞行為を働いているため、離婚請求できる立場ではない。
にも関わらず、一方的に離婚を請求してきている。

これだけでも、充分アホらしい行為だし、弁護士がついていながら、なんでこんな意味のないことをしようとしているのか、わかりませんでした。

なのに、さらにライフラインを止める行為。

え、こんなこと、向こうの弁護士は許しちゃってるの???
そちらの弁護士、大丈夫???

法律上OKかどうか、という話ではなくて、こちらには、あなたの子供もいるんですよ。
ライフラインを止めるということは、私だけではなく、あなたの子供達も生活できなくなるんですよ。

少なくとも、当時6年生と中学校1年生だった子供達は、成長期真っ最中の食べ盛り。
生活費を止めることが、彼らにどんな影響を及ぼすか、考えての行動なのでしょうか。

さらに言うと、うちの子たちは、私立の小・中学校に通っており、学費もかなり高いことで有名。
ちょうど生活費を止められた時期は、1年間の学費の支払いをする前の時期。
これから、数100万の学費を支払わなければならない時期に、ライフラインを止める?!

とうとう元夫は、頭がおかしくなってしまったのでしょうか。

冗談抜きで、現金が1円もない状態が、2週間ほど続きました。
かろうじて、スマホケースの中に入れていた1万円があったので、子供の学校関係の現金での支払いは何とかしたものの、これからの生活費(食費・家賃・光熱費・諸々)、そして学費だって、どうしたら良いのでしょう。

6. 主婦向けの人材派遣会社への登録

さて、話を少しだけ、前に戻します。

元夫に離婚話をされたときに、お金の不安を真っ先に感じた私は、元夫から「働くな」と言われていたのを無視して、とりあえず派遣会社に登録しました。

その派遣会社は、主婦が扶養枠内でも働けるような、そんなお仕事ばかりを扱っているページを用意しており、当時、夫の扶養枠内でしか働けないと思っていた私は、ひとまず、週3日程度のお仕事を見つけ、面接を受けました。

そこは、自宅からバスで10分程度のところにあるベンチャー会社で、最初の1〜2週間だけ研修で出社し、そのあとは、自宅でフルリモートが可能、という理想的なお仕事でした。

自宅で、家事をやりながら、通勤時間もなく、働けるというのは、本当にありがたかったですし、子供達の帰宅時間に自宅にいることができるというのも、魅力の一つでした。

仕事内容は、営業のお仕事。とはいえ、何も難しいことはなく、既存のメールフォームに従って、リストアップしたクライアントにメールを送るだけ。

事務仕事

レスポンスがあったら、それに対応をする、というお仕事でした。

営業経験が長かった私からすると、本当に簡単なお仕事でしたが、それでも、社会人経験15年もブランクがある私を採用してくださったその会社には、本当に今でも感謝しています。

また、フルリモートで働くことを初めて経験し、私もいつか、将来的には、自宅でフルリモートで働けるような、そんな仕事をしたいと夢見るようにもなりました。

そのお仕事は営業職ということもあって、時給も良く、当時、収入源の確保が最大の課題だった私にとっては、非常にありがたい職場だったのですが、元々、期間限定のお仕事だったため、辞める前に、他のお仕事との併用を考え、同じ派遣会社から、似たような週2〜3日、というお仕事を紹介していただきました。

実は、その会社は、自宅から徒歩15分程度のところにあるベンチャー企業で、通勤も非常に楽で、また仕事内容も週1回程度しか出社しない社長の社長秘書業務と、とても緩くて、難易度の低いお仕事だったので、ストレスなく就業することができました。

人間関係も悪くなく、非常に良い環境だったのですが、しばらくすると、営業として働いていたもう1つの会社の契約期間が終了となり、また週3日のお仕事だけになってしまったので、このままだと、いざ離婚となったときに転職しなくてはいけなくなると考え、窮地に立たされてからの転職よりは、今すべきと判断して、当時、私を誘ってくれていた、元同僚の先輩がいる人材派遣会社のお世話になることに決め、派遣での勤務を終了しました。

7. 離婚話が出たら、働き口を探そう!

ここで一つ、声を大にして言いたいのは、やはり、
「離婚話が出たら、働き口を探そう!」ということ。

元々働いている人なら、問題はないと思いますが、ずーっと専業主婦だった人からすると、どんなに過去に立派な経歴があったとしても、10年以上のブランクというのは、就職活動においてはかなりネックになります。

ですが、パートやアルバイトだと、時給も安いし、ほとんどがシフト制。となると子供がらみで、急に休まなくてはいけなくなったとき、職場へかける迷惑は計り知れません。

となると、ある程度守られた状態の人材派遣会社に登録して、そこからお仕事の紹介をもらい、高時給で、オフィスワークをした方が、急なお休みにも対応できる仕組みが整っているケースも多いと思います。

①離婚話が浮上したら、まずは人材派遣会社に登録をする。

②OAスキルに自信がなかったら派遣会社の無料e-learningを利用する。

③社会復帰に自信がなかったら短期・時短のお仕事からスタートしてみる。

④離婚が確定する前に、しっかりフルタイムの仕事に就く。

⑤夫の扶養枠から出ることを恐れない。

この5つを意識して、お仕事探しに活かしていただけたらと思います。
一応私も、人材派遣会社での営業職として、多くの方のキャリアコンサルもしてきました。
人材業界出身&離婚経験者の立場からアドバイスさせていただくと、やはり、離婚する前に、安定した収入源の確保は、しておいた方が絶対にいいです。

8. 結婚相談所でのアルバイト

さて、この時点で、私は2つの仕事を掛け持ちしていたことになるのですが、実は、もう1つ、土日にやっていたお仕事もありました。

結婚相談所のアルバイト

こちらもご縁あって、知人に紹介してもらったお仕事なのですが、有名な結婚相談所でのアシスタント業務。厳密にいうと、仲人業のアシスタント。

なかなかパワフルで、個性の強い女社長の元、非常に面白いお仕事をさせていただいたなーと思っています。

あんまり詳しいことはかけませんが、実はこのお仕事、決して時給は高くありませんでした。

だけど、自宅から歩いて10分位の所にあり、1日でも多く仕事をして、お金を稼ぐ必要があったので、こちらのお仕事を紹介していただいたことは、本当にありがたかったです。

もちろん、楽なお仕事ではありませんでした。

人生において、アルバイト以外で制服に着替えてお仕事をする職場は初めてだったし、専用システムを使って、会員の方とのチャットのやり取りや、お見合い場所を設定したり、っていう作業は、今まで経験したことのないお仕事だったし、すごくやりがいのある、人を幸せにするお仕事だなーと思いながらやっていました。でも、当時、平日は2つの派遣をかけもち、週末と祝日は結婚相談所のお仕事、という生活は、決して楽ではありませんでした。

 

そして、昔の同僚の先輩からのお誘いにより、人材派遣会社への直接雇用での採用が決まると、それに合わせて、全ての掛け持ちしていたお仕事を辞めて、新しい会社のお世話になることにしました。

結局、主婦向けの人材派遣会社から紹介されたお仕事は、丸1年働いたことになります。

9. 人材派遣会社で契約社員として勤務

新しく採用してもらった会社は、大手企業ではありましたが、私が昔、独身時代に働いていた大手企業と比較すると、まだまだ発展途上の企業だったこともあり、誘ってくれた元同僚というか、先輩は、私に、「会社の営業部の立て直しを手伝ってほしい」と言われたので、気合を入れて、入社しました。

独身時代に勤めていた会社とは、勝手は違えど、人材派遣会社という共通点があったため、仕事は比較的スムーズに覚えることができ、また、メンバーにも恵まれ、楽しく仕事をしていましたが、1つだけ難点が…。

実はその会社、給料が安く、派遣社員として働いていた時よりも、全然少ない収入になってしまっていたのです。
とはいえ、直接雇用という安心感を手に入れることはできたので、なんとか節約生活をしながら、子供達と3人で、慎ましい生活を送っていました。

信頼できる上司と、メンバーとの仕事は、職場環境的には、申し分なかったのですが、安い給料に、少々不安があった私は、その後、悪魔の囁きに乗ってしまうことになります…。

10. 生活費の援助は実家族から

さて、読者の皆様が気になるポイントは、恐らく、ライフラインを止められた時、結局、子供達の学費や、生活費はどうしたの?ということだと思うんだけど…

実はこれに関しては、家族のサポートにかなり、助けてもらいました。

私、元夫から離婚話をされた時、実は私の両親には、相談ができませんでした。

そりゃそうだよね。
娘が不幸になるような話、親には聞かせたくなかったし、心配をかけさせたくない、って、そう思うのが、娘心というものでして…

まぁ、結果として、かなり心配かけることになっちゃったし、沢山のサポートをしてくれて、本当に親のありがたみとかを感じて、助かったんだけど。

そんなわけで、親に相談できなかった私は、最初に、弟に相談をしました。

私は3人兄弟の1番上で、下に弟が2人います。
2個下と3個下におり、兄弟仲は、かなりいい方だと思います。
特に、2個下の弟とは、仲が良く、弟は地方勤務ではありますが、都内勤務だった頃に、両親と私の娘と、私の弟と4人で生活していた時期があったこともあり、何かと、私の子供達のことを、気にかけて、可愛がってくれていました。

弟は晩婚で、子供もいなかったので、余計、大事に思ってくれていたのかもしれません。

あまり弱音を吐いたり、相談事をしない姉からの突然の「相談したいことがある」というLINEの連絡を受けて、弟からすぐに折り返し連絡が来て、電話で事情を説明しました。

義兄が浮気相手に本気になり、離婚したいと言い、生活費も学費も全て止められた、という事実は、弟を本気で憤らせていました。
そして、姉や甥っ子姪っ子達のために、できる限りのことをすると言ってくれ、当面の生活費と、子供達の学費分、合わせて数100万を、ぽーんと振り込んでくれたのです。

あの時、弟からのサポートがなかったら、本当に子供達は学校を辞めていたと思います。
弟には、一生頭が上がらないし、本当に心から感謝しています。

しかも、姉が、「親にはまだ言ってない」というと、私が話すまで、ずっと黙っていてくれたのです。

結局親に報告したのは、離婚裁判がスタートしてからなので、約1年が経っていました。
娘婿の不貞行為と、理不尽な離婚要求に、当然ながら、私の両親も激怒り。

 

私が電話口で、元夫のことを「パパ」と呼ぶと、父は「そんな呼び方するな!」と憤ってくれました。
ほんと、涙が出るぐらい嬉しかったし、私の家族がみんな私たちを守るために、色々なサポートを申し出てくれたことは、本当にありがたく、感謝してもしきれませんでした。

そんな中でも、母はやはりどこか冷静で、「あなたは浮気とかしてないんでしょうね?」なんて聞いてきて、喧嘩になったこともありました。笑

娘を信じろよ…笑

そんなわけで、弟だけじゃなく、両親もが、金銭的に援助を申し出てくれて、
なんとか、婚姻費未払いだった間の生活は、確保できていたことになります。

もちろん、借りたお金は、離婚成立後、財産分与で入ってきたお金で、きちんと返済いたしました。

どんなに縁が切れている親子でも、どんなに普段交流がない兄弟でも、本当に困ったときは、お互いに助け合えるのが、理想的だなーと、そのときは痛く沁みました。

 

さて、シングルマザーになった私が、そのあと、とんでもないブラック企業の餌食になるお話は、また次のコラムでリアルに執筆していきますねー!

どうぞ、お楽しみに!!!

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  • この記事を書いた人

Risa

夫に浮気され、サレ妻となった私は3年間のドロ沼裁判を経て2023年5月に無事離婚が成立。シングルマザーとして2人の中学生を育てています。シングルマザーとして第二の人生を楽しもうと、あらゆることをポジティブに捉え、セカンドライフアドバイザーとして皆さまのお役に立てたらと思い、ブログを立ち上げました!

もっと詳しい壮絶プロフィールはこちら。
*すべて私のリアルな実経験です。

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