「共同親権」という言葉を初めて聞いたとき、私は正直、とても不安になりました。
離婚後、子どもと私だけでやっと築いてきた生活に、もう一度“元夫が関わってくる”かもしれない――そう考えると、拒否感しかありませんでした。
でも今、制度として導入が進もうとしている中で、「反対だからこそ、本当に知っておくべきことがあるのではないか」と思うようになったのです。
この記事では、共同親権に反対する立場の私が、それでも制度のメリット・デメリットを冷静に見つめ直そうと思った理由を、体験とともに綴っています。
- 📌共同親権の制度がもたらすメリットとデメリットを中立的に理解できる
- 📌実際に反対の立場である筆者の視点から、現実的な懸念が明確になる
- 📌家庭環境や親子関係にどんな影響があるか、事例を交えてイメージできる
- 📌賛成・反対を問わず「親として知っておくべき」制度のポイントがわかる
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反対派の私が「共同親権のメリット・デメリット」を見つめ直した理由
私が「共同親権」に違和感を持つようになったきっかけ
共同親権という言葉を最初に知ったとき、私の中にはある違和感がありました。
「離婚したのに“共同で親を続ける”って、どういうこと?」
それが正直な感想でした。
というのも、私はすでに離婚を経験し、いまは親権を持つ側として日々子どもと向き合っています。
かつては夫婦だったとはいえ、今は別々の人生を歩んでいる相手と「親としての判断を一緒にする」ことに、どうしても現実的なイメージが湧かなかったのです。
特に私の場合、離婚前からすでに育児も家事もワンオペ状態でした。
子どもの進学・医療・習い事…あらゆる判断を一人で担ってきたという自負があります。
そんな中で「今さら共同で決めるって言われても、どうして?」という戸惑いがありました。
■ “対等な親同士”という理想と、現実のギャップ
制度としての共同親権は、「両親が対等な立場で子どもに関与する」ことを前提としています。
ですが、現実には「離婚後も関われる親」と「関われない親」には大きな差があります。
特に離婚理由が以下のようなケースの場合
浮気や不倫などの信頼崩壊
モラハラ・DV・経済的支配
親としての責任を放棄していた過去
このような背景を持つ相手に対して、「子育ての意思決定を一緒にしましょう」と言われても、納得できるはずがありません。
■ 共同親権が“全員に当てはまる前提”で語られることへの疑問
私が特に違和感を持ったのは、「共同親権があたりまえ」「世界的にも主流」などと、まるで“反対する方が間違っている”ような論調が広がっていることでした。
現実には、家庭ごとに背景も事情も違うはずです。
「関われる親」と「関わろうとしない親」が同列に扱われること、「子どもの利益」の名のもとに、かえって親の意見対立が助長される可能性があること。
それらの“制度の設計思想と現実のズレ”こそが、私の違和感の正体だったと、今になって思います。
「やめてほしかった!」という本音は今も変わらない
共同親権の導入が本格的に議論され始めたとき、私は心の中で「やめてほしい…」と強く思っていました。
離婚後、すべての意思決定を私ひとりで担ってきたことに対する“誇り”と、同時に“過去の苦しさ”があるからです。
誰にも頼れず、夜中に子どもの熱が上がっても、ひとりで判断し、病院に連れて行き、翌日の仕事にも何とか対応する。
そんな生活の中に、「離婚した相手とまた一緒に子どものことを決めていく」という制度の導入は、正直、無理があります。
■ 子育ての「責任」は私だけが背負ってきた
子どもが進学先で悩んでいるとき、私は何度も学校や塾と話し合い、子どもの意見も聞きながら方針を定めました。
ですがその過程に、元夫が関わることは一度もありませんでした。
なのに、制度が変わった途端、「教育方針は2人で決めてください」と言われたら、それは“協力”ではなく、“介入”に近い感覚です。
これまで私が一人で築いてきた信頼関係や生活の積み重ねを、「共同」という名のもとに簡単に覆されるような気がしてならなかったのです。
■ 声を上げにくい“反対派”としての葛藤
共同親権の議論の場では、「子どものために両親が関わるのは当然」という言葉がよく使われます。
たしかに、それができる家庭や関係性もあるでしょう。
ですが一方で、「それができない関係性」もあるのです。
それを訴えると、「感情論だ」「元配偶者への私怨だ」と受け取られる空気があります。
だからこそ、声を上げづらくなり、心の中でただ「やめてほしい」と思い続けるしかない女性も多いのではないでしょうか。
それでも“制度の理解”を避けてはいけないと思った理由
正直に言えば、私はずっと「共同親権」という言葉に対して拒否反応を抱いていました。
でもあるとき、子どもにこう言われたんです。
「ねぇママ。将来、もし僕が結婚して子どもができたらさ…離婚しても子どもにはちゃんと会いたいって思うかな…」
――ハッとしました。
“私の目線”でしか、制度を見ていなかったと気づいた瞬間でした。
■ 感情だけで制度を拒絶していいのか?
私は被害者の立場として「やめてほしい」と感じていました。
ですがそれと同時に、「制度そのものを感情だけで拒絶していいのか?」という疑問も生まれました。
・どんな背景の人にとって、共同親権は機能しうるのか?
・逆に、どんな条件下ではリスクになるのか?
・本当に“子どもの利益”ってどこにあるのか?
知ろうとしない限り、この問いに答えることはできません。
■ 自分の「反対意見」に説得力を持たせたかった
制度に対して反対するなら、感情だけじゃなく、きちんとした理由と構造を持っていたい。
私はそう思いました。
「自分が辛かったから嫌」ではなく、「なぜ問題なのか」「誰にどんな影響があるのか」を、事実や構造で説明できるようになりたかったのです。
反対派でありながらも、制度を理解する努力をすることで、逆に「こういう人には本当に無理なんだよ」という声を、社会に届けやすくなると思ったからです。
■ 「制度の理解=賛成」ではない
誤解されがちですが、制度を調べたり、冷静に分析したりすることは、賛成するという意味ではありません。
むしろ、制度をちゃんと理解した上で「自分にとっては危険」と判断することこそが、本当の反対なのではないかと感じるようになりました。
「共同親権」のメリットを冷静に捉えてみた
私は基本的に「共同親権には反対」という立場でここまで向き合ってきました。
ですが、制度を理解する中で、「それでも一定のメリットがあるのは事実」と気づかされた部分もありました。
感情を横に置いて、制度が掲げる“理念”と“恩恵”に目を向けてみると、一部の家庭や子どもにとってプラスに働く可能性も否定できません。
■ 共同親権が「うまく機能するケース」とは?
以下は、共同親権が想定している“理想の形”に近い家庭モデルです。
ケース | 状況内容 |
---|---|
両親の関係が円満なまま離婚 | 感情的対立が少なく、話し合いが可能な状態 |
子どもとの関わりを両親ともに希望 | 面会・教育参加などに積極的 |
離婚後も近距離に居住 | 学校・医療の対応が協調できる環境 |
経済的・生活的に自立している | 金銭や生活支援を理由に関係がこじれにくい |
■ 制度として提示される「主なメリット」
メリット | 具体的な内容 |
---|---|
子どもにとって両親の存在を実感できる | 「どちらの親にも見守られている」という心理的安定 |
教育・進路で双方の意見が反映される | 一方的な価値観に偏らず、より広い視野を得られる |
父親の育児参加意識の向上が期待される | 「親であり続ける責任」を制度が支える形に |
子どもが将来、親との関係性を築きやすい | 大人になってからの“孤立感”を軽減する可能性 |
■ 全員にとってのメリットではないという前提は必要
ここで挙げたのは、あくまで制度が理想として掲げる形です。
実際には、このような前提条件が整っている家庭は決して多くありません。
ですが、それでも「一定の条件を満たす家庭にとっては有効な制度」であるという点は、冷静に認めておくことも必要だと、今は思うようになりました。
実際の声から見える“メリットの裏にある現実”
制度として語られる「共同親権のメリット」は確かに理想的です。
ですが、現場の声に耳を傾けると、「制度の美しさ」と「実際の暮らし」の間には、深い溝があることに気づかされます。
■ 「話し合いが成立しない」…そんな現実もある
共同親権では、進学・医療・転居など、重要な判断は“親同士で協議”することが求められます。
ですが、実際に制度を経験した人たちからは、次のような声があがっています。
💬「元夫とはまともな会話ができなかったのに、“子どもの手術の同意書にサインを求めろ”と言われたときは、正直愕然とした」
💬「『習い事は無駄』という元夫と、『子どもの意志を尊重したい』私。価値観が真逆で、毎回話し合いが地獄でした」
💬「“連絡を取り合う関係”を続けるというだけで、過去の傷がうずいて動悸が止まらなかった」
制度が前提とする「冷静な話し合い」が、そもそも成立しない関係性もあるという現実。
それが、メリットを享受できない家庭を確実に生んでいます。
■ 子どもが“板挟み”になることも
一見「両親が関わることで子どもが安心する」と言われますが、逆にこんなケースもあります。
どちらの意見に従えばいいかわからず混乱する
親同士の温度差を肌で感じてストレスを抱える
「あっちの親には内緒で」と言われ、秘密を持たされる
子どもにとっての“安心”は、「親が2人関わっていること」ではなく、「安定した日常と、ぶれない環境」です。
■ メリットの裏に、常に“前提条件”がある
共同親権がメリットとして機能するのは、以下のような条件が揃っている場合です:
必須条件 | 現実には… |
---|---|
冷静に話し合える関係性 | DV・モラハラ・経済的支配などが過去に存在することも |
子どもの意思を尊重できる親 | 「自分の支配下に置きたい」親も少なくない |
適度な距離感を保てる住環境 | 住まいや生活圏が大きくズレているケースも多い |
つまり、“前提条件が整っていない”家庭にとっては、共同親権のメリットは、むしろ負担や混乱として現れるという声が、現実として存在しています。
「共同で決められる」ことが逆にトラブルを生むケース
共同親権の最大の特徴は、「大切なことを2人で決める」という点にあります。
進学、転居、医療、パスポートの取得など、子どもの将来に関わる判断を両親が合意の上で決定するというルール。
一見、公平で健全な制度に見えるかもしれません。
ですが、実際にはこの「共同で決める」という部分が、むしろ大きなトラブルの引き金になることもあります。
■ “同意が得られない”ことが行動の制限になる
たとえば子どもが転校を希望していても、元配偶者が「反対」と言えば、手続きが進まない。
医療的な処置が必要でも、「自分は不要だと思う」と言われれば、医師の説明にも支障が出る。
つまり、相手が“意見を言える立場”にあるだけで、あらゆる判断が停滞してしまうのです。
■ 相手が“子どもの利益”ではなく“自分の感情”で動いた場合
もっと深刻なのは、元配偶者が
「自分の意見を通したい」
「ただ相手に従わせたい」
「過去の恨みを晴らしたい」
というような動機で同意・不同意を決めてくる場合。
このようなとき、親権者側がどれだけ冷静に対応しようとしても、
制度上“意見を一致させる必要”があるため、子どもが人質のような扱いになってしまうこともあります。
■ 実際に起きている“トラブル例”
以下のようなケースは、家庭裁判所や相談支援機関でも多く報告されています。
✅ 医療機関での同意書がもらえず治療が遅れる
✅ 学校の転校手続きで元配偶者が連絡を絶ち、手続きが止まる
✅ 塾や習い事の変更で対立し、子どもが混乱する
✅ パスポート申請に反対され、海外留学が延期になる
✅ 一方の親が“同意しない”と駄々をこねることで、精神的な支配構造が再燃する
制度としては「子どもの利益を守るためのチェック機能」として存在している合意制。
ですが実態としては、「本当に子どものためなのか?」という場面が多発しているのが現状です。
💡 “共同”は協力の形ではなく、対立の構図にもなる
協力できる関係なら、そもそも離婚に至らなかったのでは?
そう感じる当事者にとって、“共同”という言葉は、ただの理想論にすぎないこともあります。
子どもへのプラス効果は本当にある?疑問に感じたこと
共同親権を肯定する意見の中には、よくこんな言葉が並びます。
「子どもが両親と関わることで、精神的に安定する」
「片親疎外が防げて、成長に良い影響を与える」
その理屈はたしかに理解できます。
でも、実際に子どもと日々向き合っている立場として、“それって本当に子どもにとってのプラスなの?”という疑問がどうしても拭えませんでした。
■ 子どもが「会いたくない親」も存在する
そもそも、すべての子どもが「両親どちらにも会いたい」と思っているわけではありません。
離婚理由がDVやモラハラ、無関心、裏切りであれば、子ども自身が親との接触を望んでいないケースもあります。
それなのに、「両親が関わることが子どものため」という一律の価値観が押しつけられると、
子どもにとっては“傷の再体験”にすらなり得るのです。
■ 子どもは親の“温度差”を敏感に感じ取っている
共同親権のもとで、片方の親が積極的に子育てに関わり、もう一方が形式だけの関与しかしていない。
このような状況も少なくありません。
「パパ、なんで今さら“決める人”みたいな顔してるの?」
「どうせ反対されるから、ママとだけ話した方が早いよ」
実際、うちの子どもたちも、“関わろうとしないのに、関与だけ求めてくる親”に対して強い違和感を覚えていたようです。
■ 「両親の関与」が子どもの心を引き裂くことも
想定されるメリット | 実際に起きる可能性 |
---|---|
両親と関わることで安心感が生まれる | 両親間の意見対立を見て不安定になる |
子どもが自由に行き来できる | どちらかに気を遣い、本音が言えなくなる |
愛情を十分に受けられる | 「引っ張り合い」に巻き込まれ、疲弊する |
制度上は“良いこと”でも、子どもの立場からすると、それがプレッシャーやストレスに変わることも多いのです。
📌 「両方の親と関わる=幸せ」ではない
子どもが本当に求めているのは、「どちらの親にも関わってほしい」ことではなく、
「自分の気持ちをちゃんと尊重してくれる大人がいる」という安心感なのかもしれません。
このような視点を持つと、「共同親権のメリット」とされているものが、“必ずしもすべての子どもにとって有益ではない”という事実が見えてきます。
共同親権の“デメリット”と現実的なリスクとは?
日常の意思決定がすぐにできないストレス
共同親権の運用で最も見落とされがちなリスクのひとつが、「スピーディーな意思決定ができなくなること」です。
■ たとえば、こんな場面で…
急な発熱で病院へ行くも、重要な治療には“両親の同意”が必要
学校の緊急面談で進路変更を勧められたが、元配偶者の同意を得られず保留に
子どものスマホ購入や塾の選択ですら、“重要事項”として一任できないケースも
このように、本来すぐ決めるべき日常の判断が、“共同”という名のもとに遅延・停滞・ストレスの原因となっていきます。
■ 片親が“返事をしないだけ”で、すべてが止まる
制度上は「協議して合意を得る」ことが前提ですが、実際には「返事がない」「あえて黙っている」だけで進まないことも多く、
✅ 同意書が出せず、入塾や手術が延期
✅ 賃貸契約の更新に必要な署名が得られない
✅ パスポートの申請が保留に
など、「親の関係性」が子どもの生活に直結するリスクが発生します。
📌 共同親権は“協力関係がある前提”で成り立つ制度
協力できない関係では、“話し合い”はむしろ足かせになり、子どものタイミングすらコントロールできない状況に。
このような事態が日常的に繰り返されると、親の側も精神的に消耗し、子どもにも影響が及びかねません。
「連絡を取り続ける」という精神的負担の大きさ
共同親権のもとでは、「子どもの重要なことは両親で協議する」というルールが前提になります。
つまり、離婚後も定期的に“元パートナーと連絡を取り合い続ける”必要があるということです。
■ それが“たまらなくしんどい”関係もある
過去にモラハラや経済的支配を受けていた
浮気や嘘を繰り返されて信頼が完全に崩れている
離婚後に一切連絡を取りたくないほど心が傷ついている
こういった関係性では、一通のLINE、一回の電話が“心の地雷”になることも珍しくありません。
「用件だけ伝えるつもりが、毎回話が脱線して口論に」
「無視されたり、感情的な返信が来るのが怖い」
「やっと距離を取ったのに、また精神的に引き戻される感じがする」
このような声は、決して少数ではありません。
■ 子どもの用件ですら「話したくない相手と話さなきゃいけない」
たとえば、進学先の相談や予防接種、医療手続きの同意――本来なら子ども中心に考えるべき話も、“誰に話すか”の時点で心が削られるのです。
📌精神的負担の構図
「離婚後の平穏な暮らし」
↓
「制度上の必要で元配偶者と連絡」
↓
「やり取りで感情が再刺激される」
↓
「精神的に引き戻される/自己否定感が復活」
このような負担は見えづらく、制度上は「協議義務」として当然視されていますが、実際には“回復しかけた心を再び傷つける構造”として作用していることもあります。
「虐待加害者でも親の権利が残る」制度上の懸念点
共同親権制度における根本的な問題のひとつが、「どんな親であっても“親である限り”権利が残る」という設計にあるという点です。
■ 虐待歴や暴力の過去があっても、排除されない場合がある
現行の制度設計では、親としての資格が自動的に失われるわけではありません。
つまり、かつて子どもや配偶者に対して暴力・支配・心理的虐待をしていた加害者であっても、共同親権が与えられる可能性があるということです。
■ 「子どものために」ではなく「親の権利の保障」として扱われてしまう危険
「自分の子なのだから、意見する権利がある」
「教育方針は共有されるべきだ」
「会えないなら養育費は払わない」
こうした主張が、本来は子どもを守るための制度の中で“親のエゴを正当化する道具”になってしまうことも。
■ 実際に起きている懸念事例
✅ DV加害者が“子どもの進学先に反対”し計画が白紙に
✅ 面会中の心理的虐待で子どもが情緒不安定に
✅ 拒否されることを恐れ、子ども自身が本音を言えなくなる
📌 「親の権利」が優先されすぎると、子どもの安全が後回しになる
“親である限り”の権利ではなく、“安全に関われる親であること”が最優先であるべき。
それが制度に明記されていない現状には、大きな不安があります。
この視点を持つと、共同親権の前提が「親の公平」ではなく「子どもの安心」であるべきだという原則に立ち返らざるを得ません。
DVやモラハラの被害者にとっての“2次被害”リスク
共同親権という制度が、表向きは「両親の協力による子育て」と語られていても、離婚理由がDVやモラハラだった人にとっては、過去の加害者との“関係継続”を強いられる構造になりかねません。
■ 離婚しても「逃げ切れていない」現実
書類一つの手続きに、相手の署名や同意が必要
学校の進路相談や予防接種の同意などで連絡が必要
面会交流の拒否により、訴訟を起こされる不安
こうした場面で、再び支配・威圧・無視・嫌がらせといった“かつての加害パターン”が繰り返されることもあります。
■ 法的には「協議が必要」とされるが…
たとえ相手が過去に暴力的だったとしても、裁判所は明確な証拠がない限り、
「お子さんのために冷静に協議してください」
「両親でしっかり話し合うことが望ましいです」
と、被害者に歩み寄りを促す対応を取ることもあるのが現実です。
📌 “2次被害”とは?
✅ 離婚後も連絡のたびに過去の言動をぶり返される
✅ 精神的に回復していた心が揺さぶられ、症状が再燃
✅ 子どもを介したコントロールが再開される
DVやモラハラから逃れたはずの女性たちが、「制度によって再び関係を強制される」状況は、
制度自体が“安全な暮らし”の脅威になるケースがあることを示しています。
制度が未成熟な中で、母親側の不安が大きすぎる理由
共同親権が「制度として動き出す」と聞いたとき、私がまず感じたのは“内容”よりも“制度の運用体制”への不安でした。
■ 法整備も支援体制もまだ追いついていない
共同親権は制度として導入されても、それを支えるルールや対応の“受け皿”が整っていないのが現状です。
両親間の意見が割れた場合、どう調整するのか?
合意が取れないとき、家庭裁判所に頼る以外の手段はあるのか?
面会交流時のトラブルに第三者が介入できる体制は?
これらが具体的に提示されていないまま、「制度だけが先に動き出している」ことに対し、不安を抱く母親は少なくありません。
■ 日々の実務を担うのは、ほとんどの場合“母親側”
育児や学校対応、医療機関との連絡など、生活現場に立つ親=母親という構造は今も強く残っています。
そこに制度的な“合意義務”だけを課されても、実際の手続きや実務をこなすのは母親であることがほとんどです。
📌「責任はこっち、でも決定権は“2人で”」という矛盾が生まれる
■ “不確定要素”が多すぎること自体がストレスになる
共同親権がどう運用されるかは、今後の判例や運用事例に委ねられる部分が大きく、それは言い換えれば「どこまでが保護され、どこからが自己責任なのか」が曖昧な状態。
この“見えないリスク”に対する漠然とした不安こそが、母親たちの大きなストレス要因となっているのです。
📌 母親側の本音にあるのは“拒絶”より“警戒”
制度を頭ごなしに否定したいのではなく、「現実を知らない人たちが、現場を見ずに制度を動かしていること」が怖い。そんな声が多く聞かれます。
裁判所の判断は?現実の運用と理想のギャップ
共同親権制度の実務で最後の拠り所となるのが「家庭裁判所の判断」です。
ですが、裁判所の判断が“理想の運用”と一致するとは限らないというのが現実です。
■ 裁判所は「形式的な平等性」を重視しやすい
司法の立場では、夫婦間に深刻な対立やDVがない限り、「両親が対等であるべき」という建前をベースに判断が下される傾向があります。
「記録上、双方に重大な問題はない」
「感情的対立は見られるが、子の利益に直結するとはいえない」
「一方的に親権を奪うことは望ましくない」
このように、現場のリアルな背景よりも、“外形的な公平性”が優先されるケースも少なくありません。
■ 実態を証明する責任は被害者側にある
もし過去にモラハラや支配的言動があったとしても、それが明文化されていなければ、
「証拠がないため判断材料にならない」
「子どもに実害が出ていない限り、親権に影響しない」
と判断されてしまう可能性が高いのが現実です。
■ “理想の制度”が“冷たい現実”に変わる瞬間
理想 | 現実 |
---|---|
子どもの最善の利益を守る | 曖昧な基準で形式的判断がなされる |
親同士が話し合えることが前提 | 実際は一方の親が話し合いを拒否・支配するケースも |
運用は柔軟に対応される | 実務はルール重視で、当事者の心情に寄り添わないことも |
📌 裁判所の判断に“現場の痛み”は反映されにくい
裁判は“ルールの解釈”には強くても、“生活のリアル”には鈍感なことがある。だからこそ、制度の判断だけに任せるのは危ういのです。
「共同親権が正義」という風潮に感じた違和感
近年、SNSやメディアで「共同親権は世界標準」「子どものためになる制度」など、肯定的な意見が多く見られるようになりました。
それ自体が間違っているとは思いません。
ですが私は、こうした“共同親権=正義”というような一方向の風潮に、どうしても違和感を覚えてしまいます。
■ 反対することが「子どもをないがしろにしている」かのように語られる
たとえばこんな論調が広がっています。
「子どもには両親が必要でしょ」
「親の感情じゃなく、子どもの利益を第一に」
「反対するのは、相手を排除したいだけでは?」
こういった言葉は一見正論に見えますが、実際には“反対する側の背景や経験を否定してしまう”構造になっています。
■ 「世界では当たり前」という言葉の危うさ
確かに海外の多くの国では共同親権が導入されています。
ですがそれは、「支援体制」や「判断の柔軟性」が整っているからこそ可能な話です。
📌 制度だけを輸入して、文化や家庭事情を無視すれば、単なる“理想論の押しつけ”になりかねません。
■ 声をあげにくくなる“空気”ができている
制度に疑問を呈すると、「感情的だ」「古い考えだ」と返される。
そんな雰囲気が広がっていることで、傷ついてきた側の声がかき消されてしまう現実があります。
私はこの風潮こそ、最も危険だと感じています。
やめてほしかった!共同親権導入への本音(内部リンク)
ここまで読んでくださった方の中には、
「本当に共同親権って必要なの?」
「やっぱり怖さの方が勝つかも…」
そんな感情を抱いている方もいるかもしれません。
もしそうなら、ぜひ下記の記事も読んでみてください。
この中では、制度そのものへの強い疑問と、離婚経験者としてのリアルな声を率直に書いています。
今回の記事よりも感情に寄り添った内容になっているので、「制度の話より“本音の部分”が知りたい」という方には、特に読んでいただきたい内容です。
「それでも私は知ろうと思った」親としての視点の変化
ここまでに触れてきたように、私はもともと共同親権に強い違和感を持っていました。
反対派としての立場は、今も大きくは変わっていません。
それでも、制度を「知らないまま批判する」のではなく、“知った上で、自分の立場を持つ”ことの大切さに気づかされるようになりました。
■ 子どものために「親としてどうあるか」を考えた
私が本当に守りたいのは、“制度の正しさ”でも“自分の正当性”でもありません。
子どもが安心して自分らしく生きられる環境です。
そのために、
制度の仕組みを理解する
リスクを具体的に把握する
自分の立場を冷静に伝えられるようになる
こうした姿勢こそが、“親としてできること”のひとつなのかもしれないと、今は思うようになりました。
■ 受け入れるのではなく、“向き合う”という選択
共同親権を無理に肯定するつもりはありません。
けれど、誰かをただ否定するのではなく、制度の中で、子どもや自分をどう守れるのかを考えることは、私たち親に課された新しい課題なのかもしれません。
共同親権のメリット・デメリットは?“反対派”の私がそれでも知っておきたい理由のまとめ
共同親権に対する違和感は、過去の関係性や経験に根ざしていることが多い
制度としての「メリット」もあるが、現実には前提条件が整わない家庭が多い
「共同で決めること」が、実際は衝突や停滞の原因になる場合もある
子どもが両親と関わることが“常にプラス”とは限らない
日常の意思決定がスムーズにできなくなることで生活の質が下がる懸念あり
元配偶者との継続的な連絡が、精神的なストレスやトラウマ再燃につながる
虐待・DV・モラハラの加害者にも親権が残る可能性がある点は制度上の大きな懸念
実務を担う母親側への負担増や、制度の未整備も大きな課題
家庭裁判所の判断は“形式的な公平さ”が重視され、現場の苦しみが反映されにくい
反対意見を持ちながらも、親として制度に“知ろうと向き合う姿勢”が大切になる