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「45歳からのセカンドライフ」ブログの始まり
はじめまして。
「45歳からのセカンドライフ」管理人のRisaです。
このブログは私の実体験から、同じような経験をしている人たちや、これから戦おうとしている人たち、そして新しい一歩を踏み出した人たちのために、お役に立てる情報を提供したいと言う想いから、立ち上げました。
私が離婚したのは、ちょうど結婚生活20年目に入る時でした。
20年間の私の身の上に起きたストーリーについては、また改めてどこかでお話しようと思いますが(笑)恐らくあなたの想像をはるかに超えるエピソードが満載だと思います。
そんな様々な経験をしてきた私だからこそ、書けるブログがある。共有できる情報がある。
私自身、離婚するかもしれない、という事実に直面した時、頼りになったのはインターネットの中にある情報でした。
ですが、知りたい情報が一か所に集まってない印象を受けて、だったら自分で作ろう!となったのです。
離婚とシングルマザーとしての挑戦
さて、私は現在47歳。
2人の子供がいます。
中3の娘と中2の息子。
親権はもちろん私です。
都内の賃貸マンションで平和に暮らしています。
でもここまでの道のりは本当に大変でした。
元旦那との離婚裁判がスタートしてのが3年前。
ドロドロだったドロ沼裁判を経て、やっと今年(2023年)の5月に離婚が成立致しました。
恋愛結婚で結ばれた私達でしたが、結婚生活は波乱万丈と言わざるを得ない環境でした。
というのも結婚後、長男だった元旦那との結婚の条件は同居だと言われ、義両親と同居生活スタート。
元々婦人科系機能が強くない私は子供ができない体質だったため、子供はできない旨を伝え了承を得た上で嫁ぎましたが、子作り催促が酷く、不妊治療スタート。
調べたところ、元旦那も不妊だったので共に不妊治療をしたのち、何度目かの顕微授精で無事に妊娠。第一子は女の子でしたが、義母からは男の子じゃなかったことを責められ、男を産むまで産み続けろと言われる始末。
結局再び不妊治療をスタートし、第二子となる男の子を出産しました。何とか長男の嫁としてのお務めは果たした…かと思いきや、義母は「男をあと2~3人産め」と言います。
「私は子作りマシンじゃないっ!」と心の中で叫びながらも、3人目の不妊治療スタート。
ですが、そこから私は不育症となり、3回連続で流産することになり、さすがに体と精神的にしんどくなり、打ち止めとなりました。
子育てと家族の困難
女児を望まない義母は、孫娘には何一つおもちゃなどを買ってくれたことはありませんでした。
男児の孫ばかり7人程いるため、男の子のおもちゃはしょっちゅう買い与えていましたが、全くと言っていいほど何も買い与えて貰えず、女の子であることが悪いことであるかのような態度を義母から取られ続けます。
それでも手がかからず賢い娘はその後、小学校受験をして、都内の難関女子校へ通うことになりました。そして後を追うように息子も小学校受験をし、神奈川の超難関校へ通うことに。
そのタイミングで、私たち家族は都内に引っ越すことになったのですが、元旦那はそれを拒絶。
職場が自宅近くにあったため、自分には都内に行くメリットがないと言い張り、結局子供達の通学を優先し、私と子供達は都内で生活することになったのです。
いわゆる単身赴任のような状態が続き、私は完全なるワンオペ育児がスタートしました。と同時に、同居生活から解放されて、やっと自由な生活が手に入り、清々しい気持ちでもいました。
別居状態とは言え、毎週末、必ずどちらかの家で会っていたので、子供達も特に寂しい思いをすることもなく、小学校高学年まで生活してきましたが、この頃には既に元旦那には浮気相手の女がいたことになります。
我が家は男女それぞれ違う習い事をしていたので、週末は、男性チーム、女性チーム別行動。
習い事が終わると都内の自宅近くで合流し、一緒に外食するのが定番でした。
最初のうちは一緒に食事をしていた元旦那も、次第に子供を送ってきた後、そのまま神奈川の自宅に戻るようになりました。
結局、その行き先は、自宅ではなく、女の家だったのです。
子供達と過ごす大切な家族団らんの時間よりも、女との時間を優先させるような元旦那。
そしてその日は突然訪れます。
浮気の発覚①
子供達が珍しく共通の習い事をしている間、夫婦で食事デートをしていた時のことです。
突然「離婚したい」と言われました。突然の出来事に、私は言葉を失いましたが、私の口からやっとのことで出てきた言葉は「子供達はどうするの?」でした。
その質問に対し、元旦那は「いらない」とだけ言い放ったのです。
その一言が、その後の私の離婚に向けての原動力となりました。
せめて親権を争うぐらい、子供達を手放したくない気持ちをアピールして欲しかった。
女ってそんなもんです。離婚を言われた以上に、子供達への無関心さが悲しかったし腹立たしかったのを今でも覚えています。
さて、そんな突然の離婚話から、私は頭をフル回転させますが、こういう時って、どんなに強い女性でもかなりのダメージを心身共に食らっている状態なんですよね・・。
そんなママの様子がいつもと違うことに気付いた我が子たちは、何があったのか、聞いてきました。
子供達に優しくされ、優しい言葉をかけられていた途端、我慢していたものが一気に堰を切ったように溢れてきて、子供達の前で泣いてしまいました。
「ママ何かあったの?」察しのいい子供達は、続いて「パパに何か言われた?」と聞いてきました。
本来なら子供達を巻き込むべきではないと、頭の中ではわかっていたはずなのに、誰かに聞いて貰いたい気持ちが勝ってしまったのか、あろうことか私は子供達に「パパから離婚したいと言われたの…」と打ち明けてしまいました。
ところが子供達の様子は、思っていたのと違いました。
「やっぱりね…そんなことだろうと思ったよ」そう言いながら、子供達は2人で目配せをした後、私に「パパね、浮気してる。女がいるよ」と言いました。
浮気の発覚②
実はツメの甘い子供達の父親は、自分のiPhoneとiPadが同期しているのを知らず、当時スマホを持っていなかった息子にiPadをゲーム機代わりに貸し、自分は仕事があるからと言って、休みの日に出かけていたのです。
息子が父親のiPadでゲームを楽しんでいると、突然iPhoneから同期された写真がiPadに届いたと言います。
何の気なしにその画像データを開いて見ると、そこには、仕事に行っているはずの父親が、1人の女性とデートしている写真が沢山入っていました。
慌てた息子は、近くにいた1歳年上の姉を呼び、2人で一緒に写真データに保存されていた、他の写真を全てチェックしたらしいのです。
すると、その中には、沢山のその女性の写真と、動画などが入っており、中には、自分たちの父親とその女性が一緒に寝ている写真なども入っていたと言います。どれだけ子供達の心が傷付いたか、想像するだけで涙が溢れてきます。
なのに、優しい子供達は、その事実をママが知ったら、ママが絶対に傷付くからと言って、2人だけの内緒ごとにして、なんと2年間もママに秘密にしていたのです!!!
そして、日に日にエスカレートしていく父親の様子を、子供達2人はずっと観察していました。
だからこそ、ママとパパの間に起きた、離婚話についても敏感に察知し、2人でママを守ろうと誓ったと言ってくれました。
さらに驚くのは、当時、父親のiPadから女の写真を見つけたその日、なんと娘は父親のiPadから、全ての写真データを自分のiPhoneにAirdropで移し、保管していると言うのです!!!
結局、その娘たちが持っていた証拠が、かなり有利に働きました。
あとは、子供達の証言です。
裁判では子供の証言は採用されないものの、弁護士を動かす材料にはなります。
探偵を動かす材料にはなります。
この辺のエピソードについては、より詳細をそのうちブログ小説としても準備しようと思っていますので是非楽しみにしていてください。
ドロ沼裁判の始まり~新生活のスタート
そして、離婚話がスタートすると、なんと離婚した側のシタ夫が、離婚裁判を起こしてきました。
有責配偶者にも拘らずです。
こちらは、我が家のちびっ子探偵の持っている証拠に加えて、プロの探偵に撮って貰った証拠もあります。向こうが有責配偶者なのは間違いありません。
ところが、今度は向こうは自分の不貞を正当化するために、私が10年前から不倫していたと、妻の浮気をでっち上げ始めたのです。
それがドロ沼裁判の始まりでした。
裁判が始まるや否や、シタ夫は私たち3人のライフラインをストップさせました。クレジットカード、銀行のキャッシュカード類は、すべて凍結。子供手当金が入っていた口座も凍結。
私達の手元には1円もない状態で、3人生活がスタートしました。
急遽、私の実家や弟からお金を借りて、生活をスタートさせましたが、私立に通う子供達がいる我が家を、子供達の学費が圧迫します。
それらも、弟からの借金で、支払い、何とか子供達にだけは、不自由な思いをさせたくない一心で、15年間専業主婦だった私は、人材派遣会社に登録して、15年ぶりに仕事を再開させます。
そこからは、ただひたすらに、朝から晩まで働き、職を移り、派遣社員から契約社員に、そしてまた新しい職場に移り正社員として雇用。
ところが収入もどんどん増えて行ったため、裁判が進むにつれて、養育費の算出の際に、あまり給料が高いとしっかり父親からお金が取れなくなると言われたので、社長に退職届を出しました。
目先の給料よりも、子供達の養育費の方が優先です。
すると、勤めていた会社の社長から業務委託の提案をされ、私は社長の勧めで会社を立ち上げることとなります。これが社長のブラックな企みとは気付かずに…
それが今私が働いている会社となります。
実はここからまた私の壮絶な戦いがスタートするのですが、その話はまたいつか。笑
(まさかの給料が10か月も未払いだったんです!!!あり得ないブラック企業!)
その時は…シングルマザーと起業の話、とか、ブラック企業には気を付けろ!みたいな記事の中でお話できたらなと思います。
離婚成立~我が子たちの進路~セカンドライフアドバイザーとしての新たなステップ
3年間のドロ沼裁判の末、2023年5月に無事離婚が成立。
今は子供達も、中3、中2になり、新しい世界で自分達で自分達の人生を切り開こうとしています。
やっぱりママが自分で道を切り開いて、輝いている姿を見せ続けていたからこそ、子供達も「ママみたいになりたい」という気持ちで、自分達の進路をしっかりと、自分自身で決められるようになりました。
特に息子は、男子特有の責任からか、母親を毎日こんなに疲れさせるほど働かせているのは、自分の学費が原因だと感じ、将来を約束された学校に通っていたにも拘らず、退学を決意。
私と娘は必死にそれを止めましたが、息子は「大学受験でまた目指すから大丈夫。奨学金狙えるぐらい一生懸命勉強するから」と言って、周りの反対も聞かずに、学校に退学届を提出。そして、中2からは地元の公立中学へ通い始めました。
ところが、恐らく息子が予想すらしていなかった、私立と公立の違い…というか、生活感の違い、価値観の違いのようなものに直面し、かなりの戸惑いを感じた息子は、そこから不登校が始まります。
反抗期などなかった息子が、突然学校に行かなくなる日が訪れるとは、夢にも思わなかった私は、悩み、苦しみ、もがきながらも、どうやったら息子が昔のように毎日笑顔で楽しく学校生活を送ってくれるようになるのか、沢山考えました。
母子3人で、沢山話もしました。
公立中学の先生は、とても素晴らしい先生ばかりで、息子のことをとても親身になって色々考えて下さり、私が毎日学校へ送り迎えするのが大変だろうと言って、自宅近くまで自転車で迎えに来てくださったり、駅まで私が連れて行って、そこから先は先生が連れて行って下さったり、とても良くしてくださったのですが、息子の凍り付いてしまった心を溶かすことができず、大人たちは本当に頭を抱えていました。
そんな息子があるとき、「僕、部活やりたいんだ…」と打ち明けてくれました。
実は息子は前の中学では野球部で、部員たちと毎日楽しく過ごしており、どうやらその交流は、学校を辞めた後も続いていたようです。
そうか…今いる公立中学では部活に入ってないもんね…!
ところが、この中学校は、実は部活動が全く盛んではなく、ある部活も運動部は卓球部とバドミントン部だけ。
息子がやりたいスポーツがあるわけでもなかったので、学校へ行くことに全く魅力を感じていなかったようなんです。
学区的に、みんな高校受験があるので、受験勉強のための塾通いをするため、部活に参加しない生徒もいるとか。
もれなくうちの息子もそうでしたが、でも結果として、それが息子の”学校へ行く楽しみ”を奪っていたことになります。
そこで、彼がやりたい部活動がある学校を探しました。
途中編入ができる学校で、彼の偏差値でも入れる学校。さすがに難関校へ編入するには、相当な努力をしないと入れないと思うので、リサーチエリアを全国に向けて探しました。
そしていくつかの学校をピックアップして、息子と一緒に学校見学に行き、やっと全寮制の部活動も盛んな地方の学校への転校手続きを済ませ、無事転校。今では、学力レベルも上がり、部活動では、大会の選抜メンバーにも選ばれて、毎日練習に励んでいると言います。
前までは、スマホアプリのダウンロード申請(母が承認しないとダウンロードできない設定にしているため)はゲームの申請ばかりだったのに、今は英語系のアプリのダウンロード申請しか来ません。
今は英語の勉強が楽しいらしく、将来は海外留学も視野に入れて勉強していると言っていました。
一方の娘ですが、娘はもともとダンスをやっていて、その影響からK-POPにハマり、今年の夏休みに韓国へ短期留学をしてきました。
実は娘は小5の頃からK-POPが好きで、アイドルがライブでMCしているのを、字幕ではなく本人たちの声をヒヤリングしたいと言う想いから、独学で韓国語を勉強しており、今ではほぼネイティブレベル。
韓国語検定(TOPIC)も自主的に受検していました。
K-POPから韓国語、そして韓国料理にもハマり、キムチ作りから、キンパなどの韓国料理作りはもうお手の物。そこから普通にお料理もハマり、我が家のキッチン担当になってくれています。笑
娘の夢は、韓国の芸術高校に通う事でしたが、夏休みの短期留学中、現地のダンススクールに通い、同じ夢を持つ現地の子たちとの会話から、留学生の枠がかなり狭いことを知り、色々考えたようです。
また、現地留学中に、街を歩いていたら、4社のスカウトマンに声をかけられたり、ダンスオーディションを受けて合格したり、彼女自身、韓国人と間違えられるほど、韓国に馴染む生活を送っていましたが、上記のエピソードを聞いて、娘の可能性に興奮している私とは違って、自分の将来の可能性について、真剣に考えた娘が出した結論は、”韓国芸術高校への留学をしない”という事でした。
ずっと抱いていた夢をアッサリ諦めようとしているの?そう思い、親としては、よく考えるように促したのですが、娘は私のさらに1歩上を行っていました。
「韓国に留学する目的を改めて考えたけど、私は別にアイドルになりたいわけじゃない。となると韓国留学しても学べるのはダンスと韓国語だけ。将来の潰しが利かない。
だったら英語圏に留学して、英語を学び、第二外国語で中国語を学べば、私は4か国語話せるようになって帰国できる。
それから韓国の音楽事務所で働ければ、4か国語話せることが強みになる。だから私はカナダの高校を卒業した後、アメリカの大学に進学して、アメリカの音楽事務所で経験を積んでから、韓国に戻ってきたい。」
これが娘の出した答えでした。
これには母も脱帽です。
ここまでしっかり将来のことを考えて、先を見据えて出した答えなら、反対する理由もありません。
せっかく小学校受験して入った学校を去ることは親としては複雑な思いですし、留学費用を考えると、私はまだまだ働き続けなくてはいけません。彼らの父親に、養育費の追加請求をしなくてはいけません。
まだまだ子供達にはお金がかかりますが、私も含めた3人それぞれが、悔いのない人生を送れるように、切磋琢磨しながら、励まし合い、助け合いながら、頑張っています。
とにかくここまで来るのに、紆余曲折、色々な苦労もありましたが、優しくて勇気のある子供達に守られながら(私が守って貰ってます!笑)今は毎日幸せに生活しています。
私の今までの経験を活かして、セカンドライフアドバイザーとして、私自身がセカンドライフを楽しみながら、私と同じ悩みを抱えている女性達の力になりたいと思い、活動中です!
これからの「45歳からのセカンドライフ」ブログが、あなたのお役に立てます様、投稿をして参りますのでどうぞ宜しくお願い致します。